それを人は

 権威主義というんです。<挨拶
 一応「こういう考え方もあるので」という意味合いで紹介しておきます。こうであるべきだとは私は思っていないことを繰り返し言っておきます。
 今日一日ずっとこのサイトを眺めていたのですが、大変楽しませていただきました。さて、この人に認められるようなピアノアレンジって、同人で出来ている人はいるのか?と考えてしまいました。自分が知る限りは居ないんじゃないかなと思っています*1
 また仮に認められたとして、果たして良いものなのか?と思ってしまうのです。自分の認識では、そこでの「良い編曲」とはピアニストが楽しむ編曲なのかなぁと思ったのです。ただ、編曲という目的がすでに演奏者側にあると考える事ができるので、仕方ないのかなぁと思いました。
 自分も、ただ旋律を取ってきて適当な伴奏を付けただけの編曲はちょっと顔をしかめます。しかしそこに何かしらの意図が認められれば、それでその作品として充分良いと評価できるのではないかと思います。
 編曲をするときに必ず楽器の長所を最大限活かさなければならないという制約はあまりよくないと思っています。楽器の長所は楽器で決まるものなので、それを常に行っていたら、全ての原曲が同じようなピアノ曲になるような気がします*2。少なくとも聴き手側からすれば、「なんか知らんがゴチャゴチャした曲だなぁ」という印象しか受けないかもしれないと危惧してしまいます。
 結局、自分の中の結論では「ピアノではここまで表現できるのだ」と言うのは全然問題ないのですが、「ここまで表現しなければならない」と言い切るのはどうかと思いました*3
 あと気になる一文。パブリックなので引用させていただきます。

結論。手軽にピアノ編曲、なんて発言するな!その楽譜を夏井さんにお見せしたときに帰ってくる反応を想定して編曲を実行しろ!
……って言い放ったらイタイ人ですけど……言いたいのは確かなわけで。

 文章で公表した時点ですでに「言い放って」います。少なくとも受け手にはそう解釈します。文章は記録に残るので、言い放ちたくないのなら公に文章として出さず、オフの飲みの席とかで言うレベルで留めておくほうが良いかと思います…。
 考え方としては、その人の「編曲観」になるので否定はしませんが、遠慮するぐらいならねぇ…、と思ってしまうのですよ(汗
 さて、カテゴリにものすごく悩んだんですが、結局「同人」ネタを例に出したので、同人音楽という事にしておきます。 

*1:居なくても全然問題はありませんが…。一つのステイタスにしかすぎないと思っていますので。

*2:ちゃんとできる人は問題ないですが、こういう不利な点もあるわけで…

*3:これは自分の編曲観なのであまり気にしなくても構いません。