オリジナルとかアレンジとか

 そういえば過去の記事でも少し触れたことなのですが、同人におけるアレンジについて、もう一度まとめておきたいと思います。
 まず、GSKさんの日記から一部分を引用させていただきます。

アレンジというものは、原曲の影響が非常に大きく、悪い言い方をすれば、他人のふんどしで相撲を取る、となってしまいます。また、原曲のメロディの良さにかなり助けられたり、ということも考えられます(悪い言い方にすると「原曲に助けられる」)。
とはいえ、アレンジはアレンジなりの大変さ、というのもありますし、アレンジだけに楽が出来る部分もあったりします。楽であったり、苦であったり、まさしく人生そのものでしょうか?(笑)(人生楽ありゃ苦もあるさ・・・水戸黄門ですね)。

 ここでは、アレンジにおける「宿命」を的確に表しているのではないかと思います。少なからず原曲という、作り手と聴き手の共通の認識があるのでどういう曲か伝えやすい利点があると思います。また、メロディラインやフレーズ構成など原曲に忠実の場合、聴き手がその部分に惹かれても原曲作者の功績圏内に入ってしまうと私は考えます。
 実はこうして考えると、アレンジで正しい評価をもらうことはオリジナルを作るより難しいのではないのか?と思う時があります。音の全体像から作ろうとした時、オリジナルの方が「余計な制約」が無い分、作りやすいのかもしれません*1。アレンジの場合、原曲という先入観に縛られやすく、また如何にして「自分の世界」を介入させるかという部分に労力が注ぎ込まれるかと思います。
 そういえば前掲の日記でも書かれてますが、「原曲重視とは雰囲気や方向性が原曲と近い」という定義は的を得ているかもしれません。そうなると個人的に、原曲破壊とは、原曲のある要素を素材として扱って雰囲気や方向性は考慮しない、と定義できるかもしれません。簡単な例を挙げると原曲のメロディを転旋*2したり、さらにはメロディを逆行、反行させたりすることも破壊系に含まれるかもしれません。
 よくアレンジ系の話をすると「原曲重視派」と「原曲破壊派」に分かれるみたいですが、自分としては耳コピレベルを脱却していればどちらでも構わないかと思っていたりします。
 そういえば、自分はイベント会場に行った時に試聴は絶対しないですね…。その場を去りにくくする要因を自ら作りたくないというのも理由のひとつです…。また、会場での試聴レベルでじっくり聴くこともできないし、中途半端な情報のまま取捨選択*3を迫られてしまったら、買わない方を選択すると思うので…。その代わりと言ってはなんですが、ネット上の試聴は何度も繰り返し聴いたりします。もちろん試聴は一部分しか聴けないものが多いので、「全体の構成」を評価しがちな私にとって、1曲全部聴いてみないことには評価がしにくいというのもありますね。なぜかというと、曲中に埋め込まれる小ネタとかって発想しやすいんですよね。誰しも物語はかけなくても(前後関係を考えずに)プロットを書くぐらいはできるのと同じです。だから、どうしても全体を聴いてみて、その小ネタが効果的に使われているか、ちぐはぐになっていないかという観点から見てしまうのです。そうなると結局会場で試聴するしかないのか…。

*1:土地から新しい家を建てるのと、既存の家を改修する違いのように

*2:現代系の表現ですと、メジャー系からマイナー系、もしくはその逆をすることです。

*3:ここでは買うか買わないかという意味