楽器演奏はゲーム?

 前回の記事のコメントにも書いたのですが、「弾く楽しみ」の中で「難所を弾ききる」というのはゲームで言うところの「難所をクリアーする」に等しいのではないかと思います。それでちょっといろいろ思ったのですが、例えば楽器を演奏する時の楽しみには、今上げた「難所を弾ききる」楽しみと「演奏している音楽を聴く」楽しみの両方があるような気がしました。ゲームにたとえると、「難所をクリアーする」楽しみと「ゲーム内の世界観やキャラクターに感情移入する」楽しみに置き換えられるのではないかと思うのです。
 「技術的な部分の達成感」と「世界観に没頭する」。この両者のバランスは音楽でもゲームでも非常に重要な部分なのかもしれないと思っています。音楽の場合、「演奏の難易度」と「曲の芸術性」に置き換えられると思うのですが、ゲームの場合「ゲーム性」と「シナリオ性」に置き換えられるのかな…。
 その両者のバランスが崩れるとどういうことになるのか。例えばゲームでは「ゲーム性」を追及しすぎて「難解なモノ」になってしまい、いわゆる「クソゲー」と呼ばれるものになってしまったり、「シナリオ性」を追求しすぎて「俺ってゲームやってるの?映画見てるの?」みたいな感じになってしまったりと言った経験があるのではないかと思います。
 音楽の場合もこのバランスが崩れてしまうと似たようなことになるのかなと思いました。「難易度」「技」ばかりに意識が行ってしまい、「聴いていて楽しくないもの」は19世紀後半に大量生産されたと言われています。歴史がそれを証明しているのですが、リストが現役を退いてから50年くらいの間、有名なピアノ曲といわれるものがぽっかり抜けているんです。どちらかというとその頃は交響曲を始めとするピアノじゃない曲がたくさん挙げられるのではないでしょうか?しかし、これは「ピアノ以外の曲を作るのが流行っていた」わけではなく「大量生産されたが、現代まで残らなかった(淘汰された)」と言われているのです。実際にコンポーザ・ピアニストはリストが現れてから大量に生産されたのですが、結局のところ「技の披露」以外の何物でもない曲ばかりが生まれ、消費され、忘れられていったそうです。
 それじゃ、逆の「芸術性」に拘りすぎたものってどんなのがあるか、と考えてみると……、なかなか良い例が浮かびませんね……。サティのピアノ曲とかが近いのかなぁ。響きとかは好きなんだけど弾こうとは思わない。そんな感じの曲。あとは前衛音楽みたいに「設定だけ奇抜で理解不能なアニメ」みたいな感じのとか(ぇ