創り手でも度数を気にする人は案外いない

 エチュードとかですと音程の度数(3度とか4度)は「練習目的」としてよく使われます。もちろん、普通に「音響の好み」として使う人もいますね。
 今回紹介する作品は、先日観点違いでメッタ斬りにしてしまったゆきっちさんのアレンジ作品で、紹介したときの「同じ高みへ」の別アレンジです。今回は少なからず「旋律以外はいじっている」とのことですので、ようやく編曲者がどういじったか、という観点で見ることができます*1
 今回まず特徴として真っ先に挙げられることとして、タイトルにもなっている「4度音程」の使用ですね。4度音程は近代になって使われ始めているものだったと記憶していますので、古典的なイメージからは遠くなっています。他の作品とか4度だけではなく9度や10度(オクターブ以上なもの)が出てくるので、この辺は他の作家さんと違ったアプローチなのかもしれません。
 もちろん、10度とかは使いすぎると「押さえられないよ(ノд`;」という問題も出てくるので、難しいところですね。響きとして10度というのは良いのですが、いかんせんD-durとかの10度など、小柄な人で押さえられる人はほとんどいないのでは?と思っています。まぁ、押さえられない場合はどのようにしてずらして処理するかが演奏する上での留意点となり、醍醐味にもなるのですが。
 楽譜も2ページ目になると、典型的な超絶装飾になるのですが、左手がかなり怖い跳躍になっているみたいですね。真ん中を「旋律」としてちゃんと響かせるのは相当な技量がいるかもしれません。20小節目の下段アルペジオは手の小さい人にはかなり酷な移動じゃないかなとかちょっと心配になったりします。
 楽譜を見ながら音源を聴いて思ったこととして、実際これを演奏するとなると「いかにして17〜24小節を控えめに弾くか」になるのではと考えてみました。というのも、全体的な抑揚の波を考えると、ここで派手にかましてしまうと後半の印象が薄れてしまうかもと思ったからです。
 原曲と抑揚ラインを比較してみると、大体同じでしたので、ここは「壊さずに残した部分」と考えるのが妥当かなと思いました。
 あとは、46小節の上段最後の部分で10度が出てくるのですが、これを見てしまうと練習する気力がなくなってしまいます。いわゆる「門前払い系」になってしまってるので、ここだけはちょっと残念に思います*2。自分なら、主旋律と中声は原曲の名残として、なるべく壊さないと考えると思うので、左の伴奏を一部変更し、Eを左手で代用して演奏とするでしょうね。でもこのぐらいの変更はおそらく演奏者の判断でやるべきなので、作者さんに対して「こうしろああしろ」というような部分ではないですね。
 今までにもいろんな作品を見てきたわけですが、やはり、人の作品に触れながら「何故この人はこうしたのだろうか」とあれこれ推理するのは楽しいですね。「イイ」「ダメ」と言い切ってしまうのはとても簡単ですので、なるべく短絡的に結論は求めたくないですね。今後も、あれこれ考えた上で、自分が思ったことを書きたいと思います。

*1:前回は「作品の再現性」を第一としたものに対し、どこをいじったのかという観点でしか見ていなかった自分に非がありました。改めてお詫び申し上げます。

*2:10度は押さえられて当たり前、という考えならしかたないのですけどね。