音楽を言葉で語ることは

 非常に難しいと思います。理由の一つとして、普遍的な「辞書」が存在しないからだと考えています。すなわち「DOG」が「犬」に変換できるような万人に共通の辞書が音楽と言語との間に存在しないことを意味します。
 しかし、音楽を言葉で語ることは古くから議論が絶えず、未だに語りつくせていない問題でもあります。ここでは「音楽を言葉で表現すべきか否か」と言うことには触れず、現実問題として「音楽を言葉で表現しなければならない場面」を考えてみることにします。
 例えば、一番目にしやすいのがCDの解説文や演奏会のプログラム解説が挙げられます。ここで書かれる情報として、その作品の成立経緯や当時の時代背景、形式と特徴などです。しかし、注意しなければならないこととして書き手の主観が入っていないことです*1。作品を説明する上で、書き手の主観は理解の妨げの原因になるからです。例えば、自分が聴いた音楽を誰かに「言葉」で伝えようとした時、「まるで○○のようだ」等の比喩、擬人的、物語的な表現を使ってしまうと、それを聞いた人間が逆に音楽を想像するのとができなくなります。理由は至って簡単で、最初に言った「普遍的な辞書」が存在しないからです。
 ある人が音楽Aを聴いて「まるでBのようだ」と表現しても、別の人が「Bと言う言葉」から連想する音楽は決してAにならないからです。すごく当たり前なことですが、このあいまい性が誤解を招いたり、また解釈の違いを楽しめる原因にもなるのです。
 では、音楽Aをどのように言葉で他人に伝えたらよいのか? これはかなり難しい問題なのですが、解決の糸口として長年偉人たちが培ってきた「理論」が助けになります。理由として、少なからず作り手は「理論」を使っているからです。もし、前代未聞の理論を用いて作っている人がいれば、是非その理論を提唱してください。
 したがって、理論をある程度知ると言うことは、文学で言う「語彙を知る」に近いのではないかと考えます。そういう意味で、理論と言うのは作り手だけでなく、聴き手もある程度知っておく必要があるのではないかと思うのです。作品を吟味するレベルでの理論で問題ありません。
 と、かなり難しく書いてしまったのですが、最初は気軽に書いていっても問題ないと思います。例えばメロディーが「上昇系」なのか「下降系」なのかを書くだけでも全然違いますから。また、メロディの動きが「活発」なのか「平坦」なのかも聞き取ってみると良いでしょう。後者はちょっと擬人化が入っていますが、「絶対やるな」と言うことでもないので、とにかく意識して耳を傾けてみるのも良いかと思います。
 まとめてみて思ったことは、やはり音楽と言語は次元が違うから、単純に変換(逆変換)ができないなぁということですね。

*1:ライナーノーツは書き手の主観が入っても問題ないと思いますが。