それをいわゆるトランスクリプションという

 今度はどこのトラックバックだ!と思ったら……。(グ)レイt(略)
 楽器変換と言う手法は昔からあったのですが、専門用語で言うと「トランスクリプション」といい、ある楽器からある楽器へ「翻訳する」といったニュアンスだと思えばよいです。トランスクリプションは基本的に原曲の調性や小節数は変えずに音色だけ変えることですが、ここでどのようにして「作業者の個性」を埋め込ませるかが問題となってきます。
 まず、やりやすい物としては「原曲よりも制限があるもの」。例えば単一楽器にアレンジする場合がこれに当てはまります。単一楽器だと限界も低いので、如何にしてその差を吸収するかが腕の見せ所となるわけです。
 ただし、巷の同人アレンジで特に単一楽器を扱うもの(ピアノが多いですが)は一見上のようなニュアンスと錯覚しがちです。実は原曲を聴いてみると、「非音楽的なもの*1」を取り除いた時、旋律が1本と伴奏和音ぐらいしか残っていないのが多いのです。すなわちピアノに変えたときは音楽的な限界値がかえって広がってしまうのです。これはヴァイオリンの原曲をピアノ曲に変換するのと同じく、同時発音数、音域という限界が広がってしまっていて、単純に旋律と伴奏を抽出するだけではピアノ編曲として成り立たなくなってしまいます。
 では、実際ピアノアレンジとしてどうすればよいのかというと、それこそ作者の感性に委ねられるのです。逆に言えば聞き手も旋律と伴奏以外の部分に価値を求めているのではないかと思います。
 

*1:ここでは効果音的なものを指します。