不屈の民変奏曲

 といえば現代のアメリカの作曲家フレデリック・ジェフスキ(Rzewski)の名曲の1つとして挙げられます。もともと「不屈の民」という曲はセルジオオルテガという音楽家が書いたポピュラーソングであり、1969年にチリで誕生したアジェンデによる左翼政権が1973年にピノチェトによるクーデターで倒された後、チリのレジスタンスのための国際的な賛歌となった曲でもあります。それを踏まえてこの曲を聴くとどこと無く反社会的な響きが感じられます。無論、演奏者にもよるんですけどね…*1
 さて、この曲は主題+36変奏+カデンツァ+主題という流れなのですが*2、全体的に(主題を除くと)無調的な曲です。したがって、調性とかコードという重力圏内に居心地のよさを感じている人にとって、お奨めできない作品でもあります。
 この曲をかけて夜中の高速を走っていると、どことなく自分の境遇に重なるような感じがします。いや、むしろ自分の会社の幹部クラスとそれ未満との対立といえばよいのか。ハード出身の社長が、年度始めの全体朝礼で「ソフトの人間はハードの人間より出来が悪い」と公然と仰ったり、「最近は『右向け右』といって右を向かない輩がいる」という赤い思想バリバリな面も垣間見せてくれる素敵な社長さん。遠地で勤務している私にとって、その現状を肌で感じられないのが残念です(ぉ)。そしてフレックス凍結、ビジネスカジュアルの徹底、門の前で服装検査、といまどきの小学校でもやらないような光景が見られるようです。同じ敷地内で働いている別会社の人曰く「正門に近づくにつれ、シャツをズボンの中に入れる光景を見て、なんか悲しくなってきた(ノд`」と冗談ではない話を耳にします…。
 さて、非常に小規模ではありますが、私の雇用先ではこのような内部抗争が続いているわけで…。自分に演奏能力があれば、この不屈の民変奏曲を是非会社のイベントかなんかで弾いてみたいと思う、今日この頃。もちろん幹部クラス以外の人にはこの曲の背景を教えたりして(゜∀゜)アヒャ
 結論:こんな規模で組合が無いのがそもそもの間違い…。
 とりあえず、音源の元ネタをここに表記しておきます>ASIN:B00006S28K
 繰り返し言いますが、この曲集は全てにおいて「現代音楽」であり、「ここで調を半音上げるのがセオリー」といっている人たちには絶対にお奨めできません*3。あなたは聴き続ける事ができるでしょうか?

*1:実際、ジェフスキ本人の演奏と他称ヴィルトゥオーゾのアムランの演奏を聴きましたが、アムランには反社会的というより「楽譜の表に見えるもの」を全て映し出しているような気がします。どこかの評論で「アムランの演奏によってこの曲が『古典』入りした」と書いてあったのを思い出します…。

*2:ジェフスキは変奏の途中でもカデンツァを1つ挿入しています。

*3:表現が悪いかもしれませんが、ここではそのセオリーどおりに処理してない音楽を駄作とすぐに決め付けるような人たちを指します…。調にこだわるのもコード進行にこだわるのも全然構わないと個人的には思っています。