聴き手は成功の共犯者である

 ジャンケレヴィッチ先生の受け売りなんですが、先生はこんな例を挙げています。
 19世紀の演奏家至上主義の時代、様々な大演奏家が生まれたわけですが、彼らの成功に少なからず聴衆が加担していることは否定できません。なぜならば、演奏会というのは決して演奏家から聴衆への一方通行ではなく、相互作用が見られるからです。演奏家が超絶なパッセージを華麗に弾いたのを耳にし、聴衆は熱狂するでしょう。その熱狂振りがまた演奏者を誘惑し、更なるパフォーマンスをさせてしまうと考えられます。そして、演奏が終了し、聴衆からの熱狂的な拍手喝采と共に会場全体が熱狂の渦に巻き込まれるのです。
 実際に、同人サークルの知名度向上の貢献に少なからず聴き手が加担していることは否定できないと思います。きっかけは良質な作品といえど、それを聴いて評価してくれる人がいなければ、その作品が決して表に出ることは無いでしょう。
 ものすごく当たり前なことかもしれないですが、作り手と聴き手はお互い相手をどのような立場で見ているか、少し気になったので今回のような文章を書いてみました。自分の考えでは「同等」と思いたいです。だから、「だったら自分がやってみろ」とか「こんなの聴く価値が無い」というような意見は、決して言いたくないのです。

 参考にした先生の本→ISBN:4393931483