アレンジ?オリジナル?

 最近いろいろな音楽を聴いて思ったのですが、原曲の音色を代えてみただけのものを「忠実なアレンジ」と呼び、原曲を破壊しまくっているものを「オリジナル」と呼んだり、さまざまな呼び方がされていると思います。
 自分も趣味でオリジナル曲やアレンジ曲を作った経験があるのですが、両方とも異なる種の労力が必要であることがわかりました。オリジナルは「いかにして自分の世界を作り出すか」にかかってきて、アレンジの場合「いかにして自分の世界を潜り込ませるか」にかかってくるかと思います。しかし失敗する危険性を考えると、明らかにオリジナルの方が不利になると思います。なぜならば、アレンジは既知の曲を使うわけですので、それだけで聴き手の理解を助けることになります。先ほどいった「原曲に忠実なアレンジ」も「アレンジャーの世界がまったく入っていないもの」でさえ、原曲がよければそれなりに評価されてしまうわけです。
 さて、オリジナルとアレンジの違いですが、両方とも無から作るわけではありません。潜在的にどこかで借用は起こっているはずなので、明確な線引きはできなくなっているのではないかと思っています。しいて言えば、原曲のあるフレーズがそのままそっくり出てくるようなものは(そしてそれが聴き手に充分わかるようなもの)はアレンジ作品であると言っても良いでしょう。ただ、この手の曲は「○○の主題による〜」というタイトル付けでオリジナルとして掲げてもよいわけで、やはり明確な線引きはできないかもしれません。また、そのような線引きをするべきでもないと思ってみたりもします。
 前置きが長くなりましたが、今回紹介する音楽はMR21cの「交響詩月姫II」です*1。今回はNOKさんが中心となって製作したそうです。月姫といえば元同人サークル「TYPE-MOON」のゲームなのですが、この作品はアレンジだけではなくオリジナルも混ざっています。おそらく元ネタとして月姫のBGMを用いつつもその世界観から新たに自分の音を取り入れている感じなのでしょうか。
 交響詩ということは提唱者フランツ・リストのように「音楽と多分野の作品の融合」を図っているのでしょうか。これは月姫を実際にやってない私はこれ以上のツッコミはできませんね。ただ、交響詩という形式が上記に述べたようなものであるということを念頭に入れてもらえれば問題ありません。あとは実際知っている人が聴いてみて判断してください。さて、普通「交響詩」といえば長大な1曲を思い浮かべてしまうのですが、ここでは複数曲収録されています。この場合、どちらかといえば「連作交響詩」に近いのかもしれません。連作交響詩といえばスメタナの「我が祖国」*2が有名ですね。
 以下に特徴を挙げるとオケが「植松さん?」というツッコミが入れられるような感じです。ちなみに管弦楽法の模範としてよくラヴェルの「ボレロ」が挙げられますがね*3ラヴェル管弦楽は参考になるものは多いのですが、管弦編曲で一つだけ失敗している作品が「展覧会の絵」だと言われています。これは原曲の音を「他の楽器に配分しただけ」とラヴェルの弟子が述べているからです。
 さて、オケの雰囲気は上記で述べたとおりで、後は詳しく聴いてみないと新たな発見は無いかもしれません。この曲集には1曲だけ「ピアノ独奏曲」があります。月姫で有名な「月下」の曲から変奏曲を作ったらしいのですが…。
 この変奏曲で原曲との大きな違いは「後楽節」が完全オリジナルであることです。漫画で例えるなら「バキを読んでいて、次のページをめくったら空手バカ一代になっていた」ぐらいの雰囲気です(嘘ですごめんなさい…)。すなわち、月下→伴奏を変えてアレンジっぽい雰囲気あれ、これ月姫だっけ?オリジナル節全開! みたいな感じです。後楽節が終了するとあと2回反復するわけですが、変奏回数が2回で終了します。完全オリジナルでよかったのではないのかなと思ってみたりもします。坂本龍一戦場のメリークリスマスでさえ、普通に2回は変奏してますし…。やたらと変奏ばかりで「変奏が主役」になるのでしたら変奏曲と言っても良いかもしれないですけどね。
 そんなわけで数回聴いた印象ではこんなところですかね。まだオケが全部聴き取れていないので、しばらく聴きそうな1枚です。

*1:前作はまだ未聴。しかし「II」と同じ人が作っているわけでもないらしい…。

*2:その中に有名な「モルダウ」があるのですが。

*3:単純な構造で音色変化のみで10数分もの大曲を作ったラヴェルはやはり天才だったのでしょう。