言われてみれば(form id:mk666さん)

 自分も「ロシア国民楽派」といえばグリンカを始めとするロシア5人組だろー、と思っていただけに、チャイコフスキーの一般的位置付けが「国民楽派」だとは…。
 チャイコフスキーの音楽聴いていると、いわゆる「ドイツ的重々しさ」を感じたりするあたり、留学中に受けた影響が原因なのかなぁと思ってみたり。そして、ロシア的な音楽としてラフマニノフに受け継がれていく(表向きは)感じですかね。しかし、ラフマニノフもその「重音の使い方」特に打楽器的要素としてちゃっかりプロコフィエフに影響を与えていたりするあたりがタダモノではないですね。一般的にラフマニノフの曲は「哀愁」とかいう言葉がぴったりはまりそうなのですが*1、他の作品を見ていると「ただの保守派」ではないことがうかがえます。まぁ、不運なのは当時他の人達が「もっと革新的なこと」をやっていたので、あまり目立たなかったというのがあるかもしれません。
 やっぱりどうしても作曲家・ラフマニノフというよりピアニスト・ラフマニノフという像の方が自分の中ですんなり受け入れられますね…。

*1:友人の一人はラフマニノフの音楽を「桃色」と表現していた…。それはちょっと卑猥すぎないかい?

各時代を文章にたとえると

  • ルネサンス辺り:「よきひとの よしとよくみて よしといひし …」
  • バロック:「拙者が申すに、さほど悪うことなき候」
  • 古典:「いや、私は悪くない」
  • ロマン:「私はどちらかというと悪くないとは言いがたいと思いたいのですがどうでしょう」
  • 印象:「ボク ソレ ヨイ ワカラナイ シラナイ コムギコカナニカダ」
  • 現代(セリー):「ちくきらいなすにこはせむ むせはこにすないらきくち」
  • 現代(微分音系):「あ゛ーーー い゜ーーー」
  • 現代(確率):「くぁwqせdrftgyふじこlp;」

 これは現時点での私の印象です。すなわち普通の人はロマン派辺りを「メロディとか和声」などを一種の文脈と認識し、印象派になってくると一種の「詩」を楽しんでいるような感覚。そして大衆が「現代音楽」を理解できない理由として、上にあげた文字を「意味」として認識しようと努力してしまうから。逆に現代音楽を楽しむ人はその「字面」をみて面白がる人。ケージのチャンスオペレーションに至っては、一瞬偶然に鳴る「何か」を楽しむぐらい。
 言語は基本的に「暗黙の了解」によって成り立っていると思います。すなわち「私」という言葉の意味、誰が最初にそう決めたか知らなくても、今この言葉を「別の意味で」用いる人はいないでしょう。長年使われてきた、一種の「暗黙の了解」があるからです*1
 逆に「ほげ」という言葉、これは一般には出てこないわけで、これが「どういう意味」をもつかわからない。しかし、将来これが新たな表現として確立するかもしれない。丁度シェーンベルグの「12音音楽」が「新しい表現方法」として提唱したのと似ているかもしれません。しかし、まだこの表現方法が定着していないので、大衆に伝わらないのです。

*1:自分自身を指す意味で、別の言葉を新たに提唱しようとする人はなかなか居ないでしょう。